ブルガリア語学習ノート
часа(〜時)とчаса(〜時間)
часаは〜時間、〜時という両方の意味がありますが、どっちのаにアクセントが
おかれるかで意味がちがってきます。
В колко часа? (何時に?)と聞くときはчасаのように後にアクセントが置かれ、
Колко часа 〜?(何時間〜?)と聞くときはчасаのように後にアクセントが置かれます。
また、それぞれの質問に対して、
Един часа.(一時です。)と答えるときは、そのままчасаとなります。
その一方で、
Един час.(一時間です。)と答えるときは、単数形となるのも注意が必要です。
две-три години=2、3年
「ここ2、3年〜」のようなことを表現しようとして、「тези две или три години・・・」と言ったら、上のように直されました。
難しく考える必要はなく、そのまま続けて言えばいいということです。同じように、「7、8年」と言うならседем-осем годиниと表現します。
(Дали/Нали/Нима) са се върнали вече?
上のどの単語を使っても、彼らはもう戻っているの?という疑問文になります。しかし、そのニュアンスは微妙に違うようです。
Дали са се върнали вече?とした場合、不確かな情報を相手に尋ねる内容になります。
Нали са се върнали вече?も同様に、нали以下の内容の正否を聞いて確かめる文ですが、
Нима са се върнали вече?では、やや話者の驚きを表す文となります。日本語訳するなら、「本当にもう戻っているのか!?」といった感じです。
гръм и мълния
私の行った2004年夏は、雷の日が多く、近いところに落ちてびっくりしたこともあります。
ちょうど野外で夕食を食べている時でした。モルドヴァでブルガリア語を教えているナデージダさんに、その豪快な雷を見た直後に
この2つの単語について疑問に思っていたので、質問しました。
гръмは雷の音、雷鳴を意味します。一方、мълнияは雷光を意味します。
във втория етаж は間違い。на втория етаж を使う。
私が未だに迷うのはнаとвの使い分けです。
この2つの区別は簡単な法則があるわけでもないので、ケースバイケースで覚えていくしかないようです。
とりあえず、私が授業中に指摘を受けたこの「二階で」という表現を載せます。
他のセミナー生はたまたまなのかもしれませんが、наとвの区別では注意を受けていなかった記憶があります。
ロシア人にとっては何の問題もないことのでしょうけど、そういう区別のない日本語を母語とする私にとっては難しいです。
включвам, изключвамはほとんど全ての電気製品に対して使える
これは便利な表現で、覚えておくと得をします。ランプ、洗濯機、暖房・・・といろいろ使えると教わりました。
включвамがオンにする、изключвамがオフにするという意味です。
ちなみに似た表現にзаключвамというのがあり、鍵をかけるという意味で、
これもブルガリアで生活をするなら知らないと困る単語です。セミナーでは寝室は共同ですから、何回これを使ったかわかりません。
дървоの複数形
木を表すдървоの複数形にはдърветаとдърваがあります。
単数形のときは区別がないのに、木の種類によって複数形が2種類あるわけです。
дърветаは生えている木、つまり、森の中の木々を指すときに使います。
дърваは切られたもの、つまり、積み上げられた木材のようなものが想像されます。
他には、пътが回数を表すときと、道を表すときで個数形が違うというのがあります。こっちは男性名詞なのでさらに注意が必要です。
през денとпрез деня
授業ではこの違いについて丁寧に解説があり、最後のテストでもこの違いを問う問題がありました。
冠詞には量的限定のはたらきもあり、例えば上のようなпрез денとпрез деняではどれだけの日のことを言っているのかが異なります。
ここでは、
Самолетът лети през ден.=Един ден лети. Един ден не лети.
(毎日飛ぶわけではない)
Самолетът лети през деня.=Всеки ден лети.
(例外なく全ての日に飛ぶ)
これは季節などでも同じです。
日本のように毎年梅雨がある国では、
През пролетта вали дъжд.
のように春を冠詞形にします。
禁止するときは完了体を使わない
неを伴わない普通の命令文では、動詞の完了体・不完了体どちらも利用が可能です。
不完了体は動作の反復を意識する時に使うので、命令のときはどちらかというと完了体の利用頻度が高くなります。
一方、禁止文のときは完了体は使いません。よって、Ела.(来て)の反対語は、Не ела.では間違いで、Не идвай.(来ないで)を使います。
もう一つ例を出すと、「行くな」というときもНе отивай.を使うのが正しく、Не иди.は間違いです。
話は変わりますが、Не отивай.というのはただ行くなという意味ですが、「(どこかに)行ってしまわないで」の意味を出したいときは、Не си отивай.を使います。
動詞отивам сиには帰ってこないというイメージがあります。
値上がりと値下がり
たまたま新聞にシレネの大幅値上がりという記事があったので、この話題が上りました。
поскъпвамが値上がりする、поевтинявамが値下がりするという動詞です。
同じ内容を表すのにповишавам 高くする、понижавам 低くするも用いられます。
後者を用いる場合は、商品を主語にとることはできません。その商品の値段が高くさせられるという表現になります。
その用法の違いは次のようになります。
Продуктите поскъпват/поевтиняват.
Цените се повишават/понижават.
インペルフェクトと用いられるвсе
всеはいろいろな意味を持つ単語で、все ми е едноやвсе ощеという表現でよく目にします。
このвсеが、все вървеше и вървешеというように用いられる場合、その動作が断続的であることを表します。
всеはインペルフェクト(不完了過去)動詞をとります。
なお不完了過去は、過去に反復された動作、断続的に行われた動作、完了されていない動作
のことで、英語でいう過去進行とは少し違います。
他にインペルフェクトと用いられるのにはчесто、винагиなどがあり、докатоもインペルフェクトをとります。
一方след катоは動作の完了を意識するのでアオリストをとります。
когатоはアオリストでもインペルフェクトでも用いられます。
「電話で」はот телефон
作文問題で
Къде има телефон, с който мога да се обадя?
としたところ、×をもらいました。これもなんとなく日本語のイメージをひき
ずると間違える例のようです。
電話を使うときは、必ず前置詞отを使い、сを使うことはないそうです。よってこの場合は
сをотに置き換えます。
никогоは不完了体をとる
まだ一度も見たことが無いという表現は
Никого не съм виждал.
となります。ここで、виждалが動詞の不完了体から作られていることに注意する必要があります。
никогоは不完了体を使います。някогаでも同様です。
всекиとвсички
всекиとвсичкиはまったく同じ意味という訳ではありません。
всекиは、多数をひとまとめにして扱いますが、всичкиは、
多数を構成するそれぞれの要素の集まり(表現しづらいですが)として扱います。
Всеки човек обича родния си град.
Всички хора обичат родния си град.
всичкиの方はчовекの複数形хораが用いられています。主語が複数なので、
動詞の形もそれぞれ違うのに注意です。
私は会話中でこの2つを正しく使い分けるのに苦労しました。
Петър му поздрави. は間違い
поздравявамは「挨拶する」という動詞です。「ペタルは彼に挨拶した」と言いたい時、
「彼に」という日本語につられて
Петър му поздрави.
とму(彼に)を使ってしまうと間違いになります。
ここで正しくはго(彼を)を使い
Петър го поздрави.
です。どちらかというと「祝う」のイメージがあるのでしょうね。
日本に帰ってから、тълковен речникをひいてみたら、1. изпращам поздравとありました。
изпращам自体を使うときはгоではなくмуなのにпоздравявамではгоなのはやっぱり不思議な気がします。
ロシア語で格支配というのを聞きましたが、これに対応する単語はロシア語で生格支配なんでしょうか?わかりません。
関係ないですが、ブルガリア民族音楽の教師ペタル氏は、自分の名前について解説してくれました。
ペタルもピョートルもピーターもすべてギリシャ語が起源で、岩のように固い意思を持つ(твърд)、という意味らしいです。